アメリカで人工死産した話④ お別れ後の気持ち

正直、手術前はここまで悲しい気持ちになるとは思っていなかったです。

今までも辛いことをそれなりに乗り越えてきたからきっと今回も大丈夫、と思っていましたが、これまでの辛いこととはまた違うジャンルの辛さでした。

今までは、辛いことがあっても1、2回号泣すれば気持ちを切り替えてやってこれていたのに、今回は術後2、3日は、号泣しては落ち着き、号泣しては落ち着きを1日中繰り返していました。

その後も、生活している中ではらはらと涙がこぼれ落ちました。

足型を見て、ヘコんだお腹を見て、トイレで出血を見て、歯磨きでえずかないことに気づいて、呼吸がしやすくなったことに気づいて・・・

ちょっとしたことでいなくなってしまったことを実感し、悲しくなりました。

 

どうしてたった4ヶ月お腹で育てていただけでこんなに悲しいんだろう。

どうしてこんなに喪失感が大きいんだろう。

私はどちらかというと合理的で現実的な性格で、今回の結論にも後悔はしていないし、仕方のなかったことだと頭では納得してるのに、とても悲しくなりました。

たぶん、理屈じゃないのかな。

生命をお腹に宿した瞬間から、私は知らないうちに母親としての自覚が芽生え、愛情を持っていたんだと思います。

 

夫の仕事の帯同でアメリカに来て3ヶ月後に妊娠が発覚、平日は夫はほぼ出勤(しかも帰ってからも22時頃まで働く)なので独りの時間が長く、アメリカの限られた食材で悪阻に耐え、お出かけや旅行にもほとんど行かず、人工死産が決まってもそれまでお腹で育てなければいけなく、手術の痛みや恐怖を乗り越えても、また妊娠できるだろうかという不安がある・・・

たくさんの不安感、孤独感、虚無感、罪悪感、不快感、喪失感、悲壮感を味わいました。

 

日が経つにつれ気持ちは落ち着いてきましたが、時々思い出して寂しい気持ちになります。

たぶん、この心の痛みは、これから薄れることはあっても、完全に無くなることはなくて、ずっと胸に抱いて生きていくんだと思います。

辛いけど、忘れたいわけじゃない。

だって、私たちのもとに来てくれたのは事実であり、それを無かったことにはしたくないから。

これも私を構成する一つとして心の中に大事に置き、前を向いて生きていきます。