人工死産が決まってからは早かったです。
まず、手術の前日に子宮口を広げる処置をします。
午後3時頃に病院へ行き、処置がスタートしました。
股を広げ、内視鏡を差し込み、消毒液をドバドバ入れながら、子宮口を開いて水分を吸う棒のようなものを数本入れます。
女性の看護師さん4人がかりで対応してくれましたが、とにかく痛かった・・・!
膣の奥の方をこれでもかというくらい内視鏡でグリグリされました。
点滴で痛み止め(モルヒネ)を打ってもらいましたが、それでも痛かったです・・・
処置時間は10〜15分程度で、夫に手を握ってもらいながら痛みに耐えました。
看護師さん達はとても優しくフレンドリーで力強く、「痛かったら言ってね!痛み止め増やすこともできるから。今日はあなたがボスよ!」(とてもアメリカっぽい)と言ってくれたり、時々肩や腕を軽く叩いて励ましてくれました。
無事に終わりましたが、ホッとしたと同時に、この痛みは元気な子を産むためではないのかと虚しくもなりました。
処置後は特に痛みや違和感はなく帰路につき、痛み止めの効果が残っていてとても眠かったので少しお昼寝しました。
そして、起きてから夫が作ってくれた夕飯を食べ、処方された抗生物質を食後に飲んだのですが・・・
翌日の手術のため、食事は23時までと決まっていたので、22時半頃にデザートの苺を2、3個食べたところ、猛烈な吐き気が・・・!!
抗生物質が強すぎたのか、苺も夕飯も全て吐き出してしまいました。
その後も気持ち悪さが続き、下腹部も張ってきて、あまり眠れない辛い夜を過ごしました。
飲み物は5時半までだったので、朝5時頃に起きて水分を摂り、シャワーを浴び、6時半前には家を出ました。
病院に着いたらベッドのある部屋(スペース)に案内され、着替えて問診などをしました。
下腹部が痛くなる薬を舐めるよう言われ口に含んでいると、だんだんお腹が膨らみ、痛みも出てきました。
その間も、看護師さん、麻酔科の先生、手術の先生、いろんな人が挨拶しに来てくれました。
この病院に来てから、何回も「I'm sorry...(お気の毒です)」と言われました。
みんな本当に私のことを気遣ってくれて嬉しかったのですが、その優しさが沁みたのと、「ああ、やっぱり私は可哀想と思われているんだなぁ」と実感し、毎回泣きそうになってしまいました。
こんなに人生で英語で同情されることもそうないですね。
待機している間は、部屋が寒かった(冷房が効いていた)のと、下腹部の痛さ、これから始まる手術への恐怖などで、体が震えていました。
その間もずっと夫が手を握り、声をかけたり体をさすったりして、サポートしてくれました。
そしていよいよ手術。
ベッドごと手術室へ運ばれ、ドキドキしながら手術台に横たわったのが手術前の最後の記憶です。
全身麻酔が初めてだったので、「本当に効くのかな・・・」なんて思っていましたが、あっという間に効いたようで、気付いたら毛布に包まれて手術が終わっていました。
生理の時と同じような出血している感覚はありましたが、痛みは特になかったです。
手術前はお腹の子がいなくなってしまい悲しくなるのかなと思っていましたが、実際のところは手術の記憶が全くないのであまり実感が出ず、それよりも手術が無事に終わった安堵や初めての全身麻酔体験による興奮の方が大きかったです。
ちなみに、目覚めてから私としては意識がしっかりしていたつもりだったのですが、後から夫に聞いたところ、「同じ質問を何度もしてきた」「この写真(添付)撮ったの覚えてる?」(覚えてない)というように、少し麻酔が残っていて麻痺していたようです。
その後は、少し経過観察して、痛み止めを打ってもらったら、午後過ぎには退院。
日本だと入院する場合もあるようですが、アメリカは日帰りです。
帰りの車の中では、「ああ、終わったんだなぁ・・・」と思い体の力が抜けました。
そして、家に着いてから、もらった赤ちゃんの足型を見た途端、二人とも涙がとめどなく溢れてきました。
この可愛い足型を見て、お腹から子がいなくなってしまったことを強く実感し、激しい悲しみに襲われました。
手術後に赤ちゃんを腕に抱いて姿を確認することはなく、この後も病院で火葬手続きされるので、形ある我が子がいた証はこの足型のみです。
日本では、役所に死亡届を提出し、自分で火葬手続きをするようで、それはそれでとても辛いなと思いました。
手術当日は生理の多い日のような出血がありましたが、翌日から徐々に減っていきました。
術後3、4日目あたりは胸がパンパンに張って痛くなりました。
たぶん母乳の準備がされていた影響なんだろうな。
それ以外は特に痛みもなく、順調に回復していきました。
とにかく健康的な食事を摂り、気をつけすぎるほど安静にして、次の妊娠にむけて体を早く万全に戻そうという気持ちが大きかったです。